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Volume 28 (2004/04/27)

V850シリーズに賭けた情熱の物語・第三部 (1/2)

「システムLSI用IPコアへの進化」


きっかけはひとつの記事だった

日経エレクトロニクスの記事掲載ページ
写真 1 日経エレクトロニクスの記事掲載ページ

32ビットRISCシングルチップ・マイコン「V850シリーズ」の誕生。それは、16ビットから32ビットへ、CISCからRISCへといったマイコンの高性能化への流れを一気に加速させるエポックメイキングとなった。しかし、新聞発表された1994年当時、32ビット・シングルチップ・マイコンとして世界最高(当時)を誇る卓越した性能には注目が集まったものの、そこから先の可能性はまだまだ未知数といえた。

8月の新聞発表から3ヵ月が経ち、季節は冬を迎えようとしていた。この頃、「V850シリーズ」について、設計の中心的存在となっていた金子博昭は「組み込み用途に絞った32ビットCPUコア」というテーマで日経エレクトロニクス誌に寄稿するチャンスを得た。そして、「ICEの全機能を内蔵する32ビットの評価用マイコン」と題された記事が、1994年12月5日号に掲載された(写真1)。実は、設計段階からASIC手法を用いて開発された「V850シリーズ」は、ASICと共通のライブラリを用いたセルベース設計により、ASIC用にコア化できるIPコアとしての要件を満たしていたのだ。だが、この記事がきっかけとなり、その後の「V850シリーズ」に思わぬ展開を生むことになるとは、当時、誰も予想し得なかった。


V850コアをASICに載せたい

V851のチップ写真

雑誌が発行されてからしばらくすると、記事を読んだあるお客様から営業部隊に問い合わせが入った。問い合わせの詳細までは聞かされなかったが、誌面に紹介された写真に興味を引かれたという。それはCPUコアのV850、周辺回路のほか、RAM、ROMなど各種メモリを1チップに内蔵したV851の写真だった(写真2)。世の中に紹介されて間もない「V850シリーズ」の商談につながれば…、という期待に胸をふくらませながら、マイコンの応用技術を担当していた奥田郁太郎は金子と早速お客様を訪問することにした。1995年が明けて間もない出来事であった。当然、カスタムマイコンの引き合いだろうと考えていた二人の予想に反して、お客様の要望は「ASICにCPUを載せたい」というものだった。二人は「V850シリーズは、ASICと同じフロー、同じライブラリで開発されているので問題ありません。大丈夫です」と、気軽に応じた。「V850コアは、ASICに載せられる条件がすべて整っている」。二人には何の疑いもなかったのだ。


奥田 郁太郎
写真 3 第二ソリューション事業部
シニアシステムインテグレーター
奥田 郁太郎

職場に戻った二人は、ASIC部隊へ協力を要請することにした。そこで結集されたメンバーも皆、同様に楽観していた。マイコン部隊からメンバーに加わった桜井良和は、このプロジェクトにエンジニア魂ともいうべきチャレンジ精神がムクムクと沸き立ったという。NEC(当時)として初めての本格的なシステムLSIプロジェクトだったのだ。また、お客様も新製品開発に燃えるエンジニアたちだった。一緒にやろうという意気込みがひしひしと伝わってきた。お互いにエンジニアとして楽しいプロジェクトとなるはずだったのだが…。


マイコンとASICの設計文化の違いに気づいた

桜井 良和
写真 4 第三カスタムLSI事業部
グループマネージャー
桜井 良和

1995年、春。期待に満ちたプロジェクトが、新しい季節とともにスタートした。しかし、順調に進むはずだったプロジェクトに、にわかに暗雲が立ちこめてきた。お客様との会議が進むにつれ、メンバーたちの頭に次々と疑問符が浮かぶという事態に陥ったのだ。奥田も桜井もマイコン部隊とASIC部隊の間で話がかみ合っていないことにやっと気づいた。

単純な言葉の使い方の違いにも、たびたび戸惑った。たとえば、開発ツールといえば、マイコン部隊のメンバーはインサーキット・エミュレータやコンパイラをイメージするが、ASIC部隊のメンバーはCADツールを思い描く。バッファという言葉ひとつとってみても、マイコン部隊はメモリバッファを思い浮かべながら話をするが、ASIC部隊は入出力素子のI/Oバッファをイメージしながら話を聴く。このように、言葉の違いが時に大きな障壁となり、お互いの誤解につながった。考えてみれば、両部隊のコラボレーションは初めての試みだった。マイコン部隊は性能を上げたり製造コストを削減するために、トランジスタのレベルでいわば手作業で回路を設計したり、ソフトウェアのプログラムを作成したりするのに対し、ASIC部隊はEDAツールやHDL設計手法の導入により自動設計を目指して開発工数の削減に注力している。このように言葉の違いや設計の方向性の違いが、文化の違いとなっていたのだ。そして、このソフトウェア中心のマイコンとハードウエア中心のASICの設計文化の違いが、実際に同じプロジェクトに参加して初めて浮き彫りにされたのだった。

あるとき「タイミング保証はどうやって実現検証すれば良いですか?」というお客様からの質問を受けた。マイコン畑の奥田には、ASIC的に考えると自分の考えが正解かどうか確証を得られなかった。「どうすればいいのか?」と内心あせった。だが、即答はあえて避け、正直に「すこし検討させてください」と告げた。マイコン部隊とASIC部隊、それぞれの専門分野においては互いにプロフェッショナルであることは言うまでもないが、2つの分野の融合となると、気にも止めていなかった問題がそこには存在するものだ。「お客様にはそのことを充分にご理解いただいていたので、そのご指摘やご質問には大いに助けられました」と奥田は語る。社に持ち帰り、マイコンとASICそれぞれの部隊の意見を聞きながら充分に検討を重ね、今回のプロジェクトでは、ASIC手法で処理しきれない部分については、マイコン的手法による現実解を選択・回答した。結果的に、プロジェクトをスケジュール通り遂行するための不可欠な選択であった。



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