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Volume 20 (2003/09/18)

PDPドライバICの歴史を拓いた挑戦者たち・第二部 (1/2)

「再び、早朝会議が始まった」


TCP(Tape Carrier Package)化を進めるうえで、さらなる困難が待ち受けていた。

TCP(Tape Carrier Package)構造

TCPに高耐圧SOIチップを実装する場合、SOI支持基板電位変化によりICの特性に耐圧変化などの影響を与えるという問題点があったが、 チップ表面からSOI支持基板電位をグランドに固定することで、SOIの耐圧特性を安定させるという解決策を提案。
後藤 智
写真 1 生産統括事業部
シニアプロダクションエンジニア
後藤 智

大画面にも関わらず、薄型・軽量であり、さらに高精細化を実現するという優れた特長が注目され、急速に拡大しつつあるPDP市場。現在、およそ年率70%増の成長を続け、その市場は2005年には国内で300万台に達すると予測されている。このPDPの急激な普及には、その技術の進歩を陰で支えてきた技術者たちの苦悩の物語があった......。

2000年の暮れ。当時、PDPドライバICとして量産されていた4チップ実装のCOF(Chip On Film)モジュールは、さらなる小型化、低コスト化のため、TCP(Tape Carrier Package)化(図1)が求められていた。TCP実装プロセス技術の後藤 智はこれらの市場の要求に応えるべく、2チップ搭載のTCPの製品化を目指し、検討を重ねていた。しかしながら、まだビジネスにもなっていない2チップ搭載という試作品に、試作ラインがあるはずもない。そこで後藤は、すでにTCP化が進んでいたLCDドライバICの製造ラインを利用することを考えた。何とか工夫を凝らしながら、2チップ搭載TCPの試作に挑んでいたのだ。苦労を重ねた結果、製造ラインにおいて信頼性に関する問題がないことが確認できた。しかし、TCP化を進める上でさらなる困難が待ち受けていることをこの時点で、後藤はもとより誰も予想できなかった。

TCP化を求めていたお客様自身から、TCPの信頼性に強い疑問が投げかけられたのだ。「低電圧のLCDドライバで使っているような普通のTCPを高耐圧のPDPドライバに使用して本当に信頼性は問題ないのか?」と。プロジェクトチームが確信した信頼性にお客様が疑問を投げかけてきたのである。プロジェクトメンバーは、自らの主張を証明すべく一丸となった。お客様を説得するために、中断されていた早朝会議がふたたび招集されたのである。そしてそれはしばらく続くことになる。


TCP元年となった2001年

暮れも押し迫った12月27日。玉川事業場の応接室では、数々の疑問に応えるため、また様々な要望に対応するために、お客様を招いて何時間にもわたる重苦しい会議が行われていた。世界初のPDP専用TCP量産投入というプロジェクトだけに、お客様も慎重にならざるをえないのだ。大幅な原価低減、信頼性の証明など幾重もの難題解決が必要だった。結局その会議では、大きな結果を残せず、解決は年をまたいだ。年が明けた2001年、よりきめ細かな対応と緊急事態に備えるべく、プロジェクトメンバーとお客様との携帯電話によるホットラインを結び、24時間にわたる徹底的なサポートを心がけた。さらに、錫と金の共晶合金による電極一括接合などのTAB(Tape Automated Bonding)接続技術に関する多くのサンプルやデータを用いてお客様の説得にあたった。その結果、とうとう信頼性を確信できる根拠をお客様に理解していただくことに成功した。こうしてその技術はお客様から確かな信頼を得るにいたり、ようやく製品が量産化されることになったのだ。後日、これらのサポートに対してお客様から感謝状が贈られた。感謝状は現在、事業部内の会議室に飾られている。「感謝状をいただいたのは非常に光栄で、嬉しいことです。しかし、『今度の製品はとても良くなっている。』と一言をお客様にかけられた時こそ、本当に苦労が吹っ飛ぶような喜びが湧いてくるのです。」と高橋は言う。2001年は、TCP元年といってよいだろう。


第三次早朝会議~新聞発表された192出力品

TCP実装イメージ

藤原 章
写真 2 第五システムLSI事業部
主任 藤原 章

2002年。TCP化に成功したPDPドライバICは順調に出荷数を伸ばしていった。ビジネスとして成功を収めた開発チームは勢いに乗り、次なるテーマとして1チップ化(図2)を目指した。しかし、チームのメンバーは、皆それぞれが抱えている案件で手一杯であった。しかし、だからといってメンバーが増員されることもなかった。開発部門の藤原章も後輩の指導に時間をとられ、チップ開発に専念できるような状況ではなかった。しかし、自らを奮い立たせ、設計を申し出たのだ。予想通りハードな毎日が続いた。だが、スペックの妥協は一切しなかった。逆に、さらに性能を強化するため、クロックのデュアル・シングル切り替え機能、過温度検出機能も搭載するなど、より高度な技術にこだわった。この時期、多出力1チップ化へ向けた第三次早朝会議がスタートした。それは、これまでの雲を掴むような悲壮感に満ちた早朝会議ではなく、すでに出来上がった製品をより良くするための前向きの会議だった。藤原は、苦悩に満ちた第一次、第二次の早朝会議にはあまり関与していなかった。だが、その話はことあるごとに耳にしていた。先輩たちの苦労は充分にわかっている。彼は次世代開発を担う人材に成長していた。早朝会議、試作、修正、また早朝会議......。周囲の先輩たちの協力も得ながら、藤原は日夜、設計に没頭した。サンプルは初期評価、信頼性評価と順調に進み、そして遂に、192出力品が新聞発表された。このように順調に開発が進むのはまれなことであった。しかし、実際にはそのように甘いものではなかったことを藤原は後で痛感することになる。



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