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Volume 18 (2003/08/28)

PDPドライバICの歴史を拓いた挑戦者たち・第一部 (1/2)

「SOI開発からTCP化へ、長き道のり」


苦悩の果てのADY 2003グランプリ受賞

ADY 2003の受賞トロフィーと賞状
写真 1 ADY 2003の受賞トロフィーと賞状
高橋慶十
写真 2 第五システムLSI事業部
部長 高橋慶十

2003年7月2日。第五システムLSI事業部PDPドライバ開発部長 高橋慶十は、開発メンバーとともにADY(Advanced Display of the Year) 2003受賞会場にいた。ADY賞とは、ディスプレイおよびその周辺産業の技術向上と市場拡大を図ることを目的に1996年に創設されたもので、PDPやLCDの発展とともに業界での注目度も年々高まっている。

この日、NECエレクトロニクスの192出力PDP用データドライバIC「μPD16347」は、部品・材料部門でみごとグランプリに輝いた。開発メンバーたちは、受賞の喜びにわいた。ディスプレイモジュールや画像エンジンなどに注目が集まることの多いこの世界において、比較的地味な存在であるドライバICのグランプリ受賞は、快挙といえた。だが、開発のリーダー的存在だった高橋には、なぜか特別な感慨はなかった。それは常に開発の最前線に身を置く彼の正直な思いといえよう。しかし、数日後記念トロフィーをひとり眺めると、ふと、つらかった早朝の定例会議のことが頭をよぎった。8年間にわたる苦悩の日々が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、「諦めずにやってきた甲斐があった。」と、達成感と喜びが徐々にこみ上げてきたのだった。


SOIへ進むべきか、否か。それが問題だった

林 智明(左) 新田 秀人(右)
写真 3 第二ソリューション事業部 シニアシステムインテグレーター 林 智明(左)
第五システムLSI事業部 シニアプロセスエンジニア 新田 秀人(右)

カラーPDPの研究開発が本格的に始まり、壁掛けテレビの実現性と期待が高まっていた1995年暮れ。この年、出向先のNEC鹿児島からNEC(当時)へ戻り、半導体事業部設計部でPDPドライバIC開発を引き継ぐことになった高橋は、実装技術担当の新田秀人、応用技術担当の林智明をともない、主要なPDPメーカーを訪ね、その要望を聞いて回った。訪問先では一様に、実装密度の向上、発熱対策、コストの低減という3つを強く求める声を耳にした。


COBドライバモジュール
写真 4 COBドライバモジュール

翌年、NEC(当時)は新開発の1.5μmCMOSプロセスを採用し、放熱効果を高めるためにプリント基板の裏にアルミ板を貼り付けたCOB(Chip On Board)ドライバモジュールを開発した(写真4)。このドライバモジュールは、QFP(Quad Flat Package)に比べて高い実装密度と放熱能力を実現し、量産化されていった。PDP市場の立ち上がり時においてこの製品は高い評価を得たのだが、産業用として徐々に普及し始めたPDPに対し、ドライバICビジネスは新たな問題に直面することになる。


自己分離構造と誘電体分離構造の違い


C:キャパシタンス、L:インダクタンス、S:ソース、
G:ゲート、D:ドレイン、P:P型半導体、
N:N型半導体、Nwell:N型不純物層、
P-substrate:P型基板

コスト削減と高画質化を最も重要な課題とするPDPメーカー各社は、より効率の良い駆動方法として「電力回収駆動」技術の開発を進めていた。ところが従来の駆動方法では問題のなかった自己分離構造のまま、この駆動方法を採用すると、寄生トランジスタによる漏れ電流のため、大きなパワーロスを発生させ、その結果、効率を低下させることが明らかになったのだ。このパワーロスを防ごうとすると、大型の出力トランジスタが必要となり、チップサイズの大型化に繋がってしまう。寄生トランジスタによるパワーロスの発生を解決するためには、SOI(Silicon On Insulator)というプロセス技術の採用が必要であることは明らかだった。従来の自己分離構造をあらため、SOIと、シリコン基板表面から形成したトレンチと呼ばれる溝を組み合わせて素子を電気的に分離する誘電体分離構造にすれば原理的には漏れ電流がなく、高い電力回収率が得られるからだ(図1)。

当時、高耐圧のSOI開発では他社に先行されていたため、社内でもSOI製品を立ち上げなければ市場で生き残っていくことができないという意見が出始めた。しかし、そこには大きな障害があった。ウェハーメーカーから購入するSOIウェハーは極めて高額であったため、採算の目処がたたなかったのだ。SOIを採用するべきか、否か。選択が迫られていた。


そして、SOI開発が始まった

SOIウエハー製造工程

1997年になると、SOI開発は必須という考えが開発関係者の共通認識になりつつあった。高橋は1月にSOIプロセスの開発をデバイス技術部へ依頼した。林をはじめとする応用技術部門からの強い要望もあった。SOIは自己分離構造に比べ電力回収率で優れる。またラッチアップフリー(CMOSプロセスを採用したICにおいて、ノイズなどにより発生の恐れがあるラッチアップという不具合現象が原理的に発生しないこと)などメリットは多い。しかし、高耐圧のSOIで必要とされるウェハーは低圧用と異なり、2枚のウェハーを貼り合わせた構造であり、原材料は通常の2~3倍になってしまう(図2)。とても利益が出せる価格ではない。さらに困ったことに、必要とされていた100V以下のSOIは、他社で実績のある100V以上のSOIとは異なり、その必然性について疑問視されていた。あらゆるメリットと採算性のデータを集めたメンバーは、SOI採用について社内の関係者に対し根気強く説得を続けた。そして、「やはり、特性を重視した方が良い。」という決断を得ることができた。もし、この決断がなかったら、現在のPDPドライバIC事業は成り立っていなかっただろう。

SOIプロセス開発が始まったのは、5月のことだった。このころはまだ、想像を絶する困難が待ち受けていることを予想した者は誰もいなかった。



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